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知っているようで知らない「質屋」の話 vol.27

2022年01月18日

香典返しに込めた私の想い

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喪主としての私には大きな仕事がありました。香典返しです。コロナ禍でなければ参列された皆様に通夜振る舞いをするところ、それができなかった気持ちを込めて品物を選びました。

まずは、葬儀会社が勧めてくれた新規商品の乾物のセットです。後日「とてもおいしかったです。また食べたいのでどこの商品か教えてもらえますか」と尋ねてこられた人もいるほどで、これにしてよかったと思いました。また、参列してくださった方にはチョコレートも添えました。郡山の百貨店でゴディバと、ちょうど北海道物産展をしていたのでロイズと合計400個のチョコレートを調達しました。

おそらく父は、ここまでは望んでいなかったと思います。私は長男として、そしてブレラ質アキヤマの代表として、父を悼んでくださることへの感謝の気持ちをお品物に表させていただきました。

告別式を無事に終えると、私は催事中の大阪にとんぼ返りしました。身内の不幸があろうとも、商売は続けなければなりません。例のバーキンの精算をお願いした仕事仲間に「あのときはどうもありがとう。どうだった?」と真っ先に尋ねたところ、「実はキャンセルになっちゃいました」とまさかの返答。実は、私がいわきに戻った当日にキャンセルされ、「秋山さんには、とてもじゃないが言えない」と今まで黙っていたそうです。キャンセルは残念でしたが、その心遣いに私は感謝の気持ちでいっぱいになりました。


教員同士ゆえの対立

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大阪の催事を終えて郡山に戻り、日常を取り戻す中、在りし日の父についていろいろと思い出すようになりました。中でも、私が父と同じ教員の道を進んだことで真っ向から対立したのは、特に強く焼き付いている思い出のひとつです。それには次のような経緯がありました。

私の教員としての最後の職場は大学院でした。福島県には、現職の教員が大学院で学ぶ制度があるのです。私は、勤務先の小学校の校長先生と教育委員会の推薦を受け、大学院で2年間学ぶことになりました。29歳の私は小学校を休職し、20代前半の大学院生たちと席を並べて研究にいそしむ日々をスタートさせたのです。授業のカリキュラムは他の大学院生と同じで、ゼミにも所属しました。もしかしたら、読者の皆さんは「大学院生は小学校教員より忙しくない」という印象をお持ちになるかもしれませんが、実際は小学校の現場よりハードでした。それでも私は研究に打ち込みました。

ある日のこと、私にとってショックな出来事が起こります。大学院で学び、一生懸命考えた教育論を父に語ったところ、バッサリ否定されたのです。父は「大学院は小学校の現場よりラクなはずだ。いったい帰りが遅いとは何を学んでいるんだ」と思っていたようですが、私は深く傷つきました。(続く)