Brera質アキヤマ 知るほど・なるほど 「質屋さん裏ばなし」記事一覧

質屋の社長 秋山実です Vol.12

2016年07月10日

初仕入れはルイ・ヴィトン

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修行をはじめて1年足らずの私に、現金200万円の仕入れ資金をポンと手渡したM社長。いつもどっしりとかまえており、私や妻が何か失敗しても「しょうがねえな」で終わっちゃうような人でした。M社長はアパレルの仕事に就いたのち、家業の質屋を継いだ経歴の持ち主です。小学校の先生を辞めて質屋をめざしている私にも、親近感を覚えていたのでしょうか。通常の何倍ものスピードで、質屋の仕事を教えてくださいました。そんなM社長だからこそ、半人前の私に200万円を預けてくれたのだと思います。

しかし、私は悩みました。「何を仕入れたらよいのだろう......」。それでも、じっとしているわけにはいきません。私の質屋人生で記念すべき初めての仕入れ商品は、ルイ・ヴィトンのバッグ「バケット」だったと記憶しています。当時の相場が3万円~3万5千円だったのに対し、私が付けた金額は6万円でした。


相場の倍で競り落とした結末

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質屋の競りは、一番高値をつけた人が一発で落札する決まりです。オークションのように、金額がどんどん競り上がることはありません。さて、相場の倍の金額を付けた私。6万円に周囲はざわめきました。半分は、「そんな高値、うちは付けられない。すごいね」という驚きの声。残りは「それじゃ、利益出ないよ。いったいどうするの?」というあきれ声だったと思います。

案の定、私が落札したヴィトンのバッグは、M社長のお店で長らく売れ残っていたようです。修業を終えてからM社長にお会いしたとき、「秋山君が仕入れた、あのヴィトンのバッグ、まだ売れないよ。どうしてくれるの?」と冗談半分にからかわれました。半年経って、ようやく売れたそうです。当然、利益はほとんどなかったそうですが(笑)。振り返るとちょっぴりはずかしくなる、修業時代の思い出です。(続く)

質屋の社長 秋山実です Vol.11

2016年06月11日

充実した修業時代

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ところで皆さんは、質屋という商売がいつごろからあるかご存知でしょうか?

質屋が生まれたのは、はるか昔の鎌倉時代といわれています。それだけ長い歴史をもつ業界ですから、老舗も多いんですね。でも、私と妻は、完全な新規参入組です。先代から受け継ぐ商品などの資産も資金もない、ゼロからのスタートです。だからこそ、自分たちの思い描く「新しいタイプの質屋」をつくる夢を膨らませながら、せっせと修行に励んでいました。

質屋の知識ゼロの私と妻が、千葉で修業をしていた約1年間。鑑定や査定の知識や技術を早く身につけたいとあせる私を、厳しくも優しく指導してくれた修行先のM社長のおかげで、接客や商品知識を少しずつ蓄えていきました。修行では商品の仕入れについても学びました。仕入れの方法のひとつが市場(いちば)での競りです。市場での、忘れられない体験談をお話ししたいと思います。


資金は200万円!私の仕入れ体験談

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質屋の店頭には、時計や宝石、ブランド品のバッグなどがずらりと並んでいます。お客様がお売りくださった商品もありますが、多くは市場(いちば)で仕入れたものです。市場には、「平場(ひらば)」と、「大会」があります。毎月定期的に行われる平場に対し、大会は開催回数が少なめですが、商品数が豊富で、高額商品がよく取り引きされます。大会は2日~1週間にわたることが多く、下見期間中にあらかじめ商品をチェックした後、競り当日を迎えます。競りではお目当ての商品が入っている箱に付いた番号を競り落とすのです。私も修業中はM社長に同行し、平場や大会で行われる仕入れの様子を何度か見学させてもらいました。

修業期間が終わりに近づいたある日のこと。M社長と山口県下関市で行われる市場に行った私は、200万円の現金をポンと渡されました。いつものように、M社長が仕入れる様子を見学するのかなと思っていたので、びっくり! そんな私に、M社長が続けます。「そのお金で、何か仕入れて」。(続く)

質屋の社長 秋山実です Vol.10

2016年02月12日

初めての質流れバーゲン

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私を導いてくださった、修行先の質屋のM社長。今となっては亡き師になってしまいましたが、短い修業期間中、私にさまざまなことを経験させてくださいました。

ところで皆さんは、百貨店などの催し会場で行われる「質流れバーゲン」に行ったことはありますか? 質流れバーゲンとは、返済期日が過ぎたなどの理由で流れたものや、質屋がお客様から買い取りした商品を販売するイベントです。

私が初めて、質屋側の人間として質流れバーゲンに行ったのは、修行中のある夏の日のこと。今でもはっきり覚えています。会場は、千葉のパルコでした。ショーケースを並べ、商品を陳列しながら、「いったい、どんな感じなんだろう」とのんきに考えていました。

いよいよ、バーゲン初日。パルコの開店時間と同時に入店されたお客様が、会場にどっと流れ込んできました。そして、私の目の前では、信じられない光景が繰り広げられたのです。


お客様の情熱あふれるバーゲン会場

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質流れバーゲンには、全国からたくさんの質屋が集まります。千葉のパルコの催し会場では、質屋ごとに店を並べるのではなく、「バッグ」「宝石」など、商品カテゴリーごとに売り場が分かれていました。

私が配置されたのはバッグ売り場です。その活気たるや、お客様の勢いに押され、商品を並べた重いショーケースが動いてしまうほど。私は、ショーケースを元の位置に押し戻さなければなりませんでした。そんな私をよそに、お客様は何個かのバッグを手に取り、いったんその場を離れます。やがて、買うバッグ・買わないバッグが決まったのでしょう。元の売り場に戻ろうとされるお客様。しかし、ごった返す売り場に、そのお客様は近づくことさえできません。「どうされるのだろう」と思ってみていると、買わないバッグを、元の場所めがけてポーンと投げ返したのです! これは、やむを得ないことでした。私は、拾ったバッグを並べ直しました(苦笑)。

会場は熱気に包まれました。お客様も私も汗だくです。それでも、お客様のお買い物は続きます。バッグ売り場を後にすると、次なる戦場である宝石売り場にドドドと移動していかれました。福島県のいわき市に生まれ育った私にとっては、衝撃の光景でした。「これが都会の質屋のバーゲンなのか」。(続く)

質屋の社長 秋山実です Vol.9

2016年01月19日

期間限定1年の修業、はじまる

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1年間の修業でもかまわないと承諾してくださったのは、千葉県のとある質屋。修行先のM社長から、質屋の業務を教わる日々が始まりました。

前回のコラムで、質屋の修業は掃除や台帳から仕事を少しずつ覚えていくとお話ししましたね。野球に例えるなら、新入部員はボール拾いから始めるようなものです。ところがM社長は、私をいきなり売り場に出しました。野球の初心者が、わけもわからないうちにバッターボックスに立たされたようなものです。見たこともないブランドの時計や、でっかい宝石に囲まれ、とまどいました(笑)。実は、質屋という商売には強い関心をもっていたものの、ブランドのことはほとんど知らなかったものですから。それでも、毎日が驚きと発見の連続で、とても楽しかったことを覚えています。

1ヶ月が過ぎ、お店での接客にもようやく慣れてきた頃のこと。私は、社長にある直談判をしました。


販売経験で学んだこと

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M社長は、駅を挟んで販売店と質屋の2店舗を経営していました。私は、修行をスタートして1ヶ月の間、販売店でしか接客をさせてもらえませんでした。次第に、「質屋の本質は査定に違いない。すぐ近くに質屋があるのだから、あちらの店に行かせてもらえないだろうか」という気持ちが大きくなり、ついにM社長に直談判したのです。「査定業務を教えてください」。とにかく、1年で修業を終えなければ!というあせりでいっぱいでした。

身の程知らずの私の申し出に対するM社長の答えは、次のようなものでした。「"売る"という行動によって、商品知識をどんどん得られるんだ。商品名も商品の特徴も知らないうちに、お客様の品物の査定などできないよ」。

お客様の品物を自分の目で見て、手で触り、特徴を知り、商品知識として蓄える。この積み重ねが質屋にとっていかに大切かをM社長は教えてくださいました。納得した私は、再び販売店での修行を続けることになったのです。(続く)



※付録
1月7日、お世話になったM社長がご逝去されました。48歳という若さでこの世を去るというのはあまりに早すぎます。私にとってはかけがえのない方であり最高の師匠でした。この現実が受け入れがたく、今でも電話をすればすぐに話が出来そうな気がします。私がこの仕事を続けていられるのもM社長のお陰です。たくさんの思い出と大きな感謝の気持ちで一杯です。これからの私の成長も見ていただきたいと思っていただけに残念でなりません。謹んでM社長のご冥福をお祈りいたします。合掌。(加筆:秋山)

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質屋の社長 秋山実です Vol.8

2015年12月10日

質屋になるためには〇〇が必要!

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小学校の教壇に立っていた私と、薬剤師として働いていた妻。私たちは一大決心をし、質屋への道を歩き出しました。2人とも、畑違いの職業からの転職です。

質屋のノウハウを一切もたない者が、質屋をはじめる。何から手を付けるのか、皆さんはおわかりになるでしょうか? 質屋そのものがちょっぴり謎めいていると思われていることも多いので、ピンとこないかもしれませんね(笑)。正解は、"修行"です。例えば親子で店を継ぐケース、そして私のように新規参入する人、どちらの場合も通常は修行を経て質屋になります。まず、査定などの専門的な技術を身に付けなければなりません。ほかにも、百貨店での催しや仕入れなど、店の外で行う仕事もあります。

質屋に必要なスキルを得るために、私たち夫婦も修行をさせていただける店を探すところからはじめました。


掃除や帳面付けから始まる質屋の修業

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まず、一般的な質屋の修業についてご説明しましょう。期間は、通常3~5年。朝の掃除に始まり、お客様からお預かりした物を台帳に付けたりしながら、仕事を少しずつ覚えていきます。そして、トータル3~5年を掛けて、質屋に必要な技術やノウハウ、査定業務を身に付けます。そののち、修行先の質屋での勤務という形で「奉公返し」をすることが多いようですね。

私たち夫婦の場合、修業期間を1年と決めていました。理由は、早くお店を開きたかったから。なにしろ、先生と薬剤師という定職・定収入を手放しての修業です。所帯をもったアラサーの夫婦が、いつまでも収入のない状態でいるわけにもいきません。業界では異例ともいえる短期間での修行先を探すのはたいへんでしたが、やがて千葉県で私たちを受け入れてくれる質屋を見つけることができました。(続く)